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   ~音色の泉~
      
あなたが選ぶ色、私が選ぶ色
ーピアノの音色ー



ー目次ー
-Lektion1-    ートバイアス・マテイ『ピアノ演奏の根本原理』ー
-Lektion2-    ー音が出る場所ー
-Lektion3-    ー基本の考え方ー
-Lektion4-     ー手首ー意外と厄介なこの問題ー
-Lektion5-
     ーツェルニ―の音楽言語ー
-Lektion6-     ーアーティキレイションを見てみるー
-Lektion7-    ーLektion6における手の形ー
-Lektion8-     ーハイドンから見た古典派ー


-Lektion 5-
 ーツェルニーの音楽言語ー



 ツェルニーの作品番号500と聞けば分かる人は分かるのでしょうか?私はつい最近までこの本を知らなかったことをとても後悔しています。この本はなんというか、作曲家として、また、教育者としてのツェルニ―の性格が出ているのかもしれません。私は今まで、ツェルニ―と言えば、お馴染みの30、40番練習曲のイメージしかなかったので、これは改めるべきだと今さらながら思っています。この本の中身は、わりと簡単な事しか書いていないように思えるのだが、音楽上級者にとっても、初心者にとってもかなりタメになる本であることは間違いないでしょう。


 音楽言語、と書いてしまうと、例えば、アレグロ、アダージョ、ラルゴ、プレスト、そのようなテンポを表している言葉。クレッシェンド、ディミネンド、フォルテ、ピアノ、と言った強弱記号。アッチェレランド、ラレンタンドと言った、アゴーギクに関する記号。そういったものを連想するかもしれません。もちろん、演奏上これらの情報は不可欠であるのは当然ではあるのですが。(奏者が気ままに弾かない限りにおいて)では、音楽家、ことに、作曲家の方々はこれらの記号だけで、曲を作っているのだろうか?その答えはきっとNoだと思う。では私が言いたいのはどういうことなのでしょう?





例えば下の譜面を見てください。


上の譜例は G-E-C-E(譜例1とします)
下の譜例は G-E-C(譜例2とします)
と言う風に書かれている。さて、この譜面を見た時に、何を思われますか?
譜例1は四分音符の四分音符。 譜例2は二分音符と四分音符。

 まず、譜例1において考えられるのは、4分の4拍子という事から、GとCが強調される。それは単純な理由、強拍であるからです。
では、譜例2の様になっていたらどうなるのでしょうか?ツェルニーの考え方によれば、『長い音符は全て、その前後の短い音符よりも強調されなくてはならない。』となっています。
ということは、ここにおいて、二分音符は単に音の長さが長いだけではない意味を持つことになります。

 私が思うに、強拍が持つ意味を2という数字、弱拍が持つ意味を1という数字に置き換えた場合、譜例1では、2-1-2-1、譜例2では、3-2-1、となるではないでしょうか?
つまり、この場合において、私たちの耳には、譜例1では、GとCが強調されているように聞こえ、譜例2ではGが強調されているように聞こえる。そういう音響効果を狙って作曲されているのではないかと私は思うのです。

 もしここで、作曲家の方が、譜例2において、メロディーのリズムはこのままで、Eを強調したいとしたらどういう方法があるのでしょうか?
 私が思いつく限りでは、アクセントなどの記号をつける。あるいは、Eの音を1オクターブ上げるとか、あるいは、逆にGの音を1オクターブ下げる。そういった事をするのではないでしょうか?
 というのも、ツェルニ―によれば、『歌うパッセージにおいて、高い音は、低い音と比べてアクセントをつけて、強調する』とあります。
注ー譜例2は歌うパッセージじゃないだろと言われたらすいません。私は作曲家ではないので・・





ーよく疑問に思う事ー


 まず、整理。私がツェルニーの本を読んで思ったことは

楽譜に書かれている、音符、スタッカート、スラー、アクセント、そういった形、記号にはそこについているだけの意味がちゃんとあり、楽譜にもし何も書かれていなかったとしても、それは当時の慣習があり、作曲家(少なくともツェルニ―は)はそれを熟知して、曲を書いていたと推測できること。


かなり厳格にテンポを守っていたと思われること。



ー1に関して 何も書いていない譜面ー

 例えば、緊張ー緩和。という、不協和音ー協和音への解決を、なにも書かれていないからと言って、不協和音を強調しないという選択肢が、当時あったのだろうか?おそらくないと思われる。そして、不協和音の部分に作曲家の方は、‘わざわざ’アクセントなどの強調記号なんて書かなかったのではないでしょうか?。
逆に言えば、当時の慣習、あるいは、弾き方が何通りも考えられるものには、そう弾いてほしいという指示が書いてあるはずで、協和音を強調したければ、きっと協和音の方に、アクセントや、強弱記号が付いている‘例外’があると思う。


 他にも、私が行っていた学校の授業に、歴史的演奏法というものがあり、その中で、教授はこういう事(ツェルニ―も言っている)も言っていました。メロディーが上に向かっていれば、クレッシェンド、下ならデクレッシェンド。。。なんというか、単純明快だ。というのも、普通になんの考えもなく弾いていても、おそらくそうなるのだから。だから、この場合、もし作曲家が上向系なのに、メロディーを段々と弱くしていきたかったら、デクレッシェンドなどの記号が付いているだろうと思われます。ついていない場合、それはクレッシェンドをしてほしい、という事になるという事だ。


しかし、問題になるのは、あなたは、一体どうしたいか?という事ではないでしょうか?


 作曲家がどういう意図で書いたのかなんていうのは、私にはあまり興味がない。私がその譜面をどう解釈しているかが重要で、それが私にとって一番重要な事である。
また逆に、作曲家がどういう意図で書いたのか、それを再現するのが私たち演奏家の役目であり、当たり前のこと。そこに私情ははさまず、作曲家の意図をくみ取る演奏をしたい。それが一番重要なのだ。他にも種類はあると思う、右か、左かというのとちょっと似た部分があるけれど、対極にあるのはこの二つの考え方ではないでしょうか?

 
 私はこういうホームページを作っているのだから、再現を目的にする音楽家のように思われるのはしょうがないのかもしれませんが、実際問題として、良いものはいいんであって、たとえ、(不可能ではあるけれど)作曲家の意図を100パーセント表現して良いものが出来たのと、作曲家の意図を考えず、歴史的な解釈を全く無視した、独自の解釈をして良いものが出来たとしても良ければ私は良いと思っています。ただ、天才、あるいは、後世に名を残している作曲家の方々の曲に込めた意図を少しでも読み取って、私自身の楽譜の解釈の幅が広がればいいなあと思っています。





ー2に関してー

この頃の曲をさらうにあたって、誰しもがきっと出くわしたことがあると思われるレッスン風景


生徒が弾き終わると、先生がこういった。
「そこはもっと、歌うように弾いたらいいと思うよ。」
生徒は、次はそう言われないように歌うように弾いて次のレッスンに持っていく。
生徒が弾き終わると、先生はこういった。
「君はテンポが守れていない。」先生はそういって、手拍子を打ったりしている。


こんな冗談みたいなことが本当にあるのかと思われるかもしれないが、私はよくこういう状況になったのを覚えている。(手拍子は少し言い過ぎではあるが)


 テンポの維持が言うまでもなく大切なのは間違いないと思われますが、メトロノーム的な演奏に果たして音楽的意義や、芸術の素晴らしさがあるのでしょうか?
 譜例2を思い返してみてください。2分音符は強調される、と書いてありますが、では強調とは、どんな手段があるのだろうか?普通に思ってみれば、それは他の音よりも少しだけ強く演奏される、という方法があります。また、少しだけその音を伸ばす、という方法もあります。もしかしたら、モルデントのような装飾を付ける人も当時いたかもしれないのです。


ツェルニ―はこうつづっています

『Dass die Zeit eben so unendlich theilbar ist, wie die Kraft, haben wir schon oben bemerkt.
Nun muss zwar allerdings jedes Tonstück in dem, vom Autor vorgeschriebenen und
vom Spieler gleich Anfangs festgesetzten Tempo, so wie auch überhaupt streng im Takte und in niemalsschwankender Bewegung bis an’s Ende vorgetragen werden. Aber diesem unbeschadet, kommen sehr oft, fast in jeder Zeile, einzelne Noten oder Stellen vor, wo ein kleines,oft kaum bemerkbares Zurückhalten oder Beschleunigen nothwendig ist, um den Vortrag zu verschönern und das Interesse zu vermehren.』

 ツェルニ―は、太字のAberの前まではこう言っています。前に述べてきたように、力と同じように、時間も分ける事ができます。
全ての曲において、書かれているテンポは守らなければなりません。演奏されている間、最初から最後まで、変に揺れてもいけません。と書いてあります。
でも、文字通りAber(ドイツ語でしかし、という意味)の後で、演奏をより美しく、興味深いものにするために、小さく、ほとんど気づかれないような、テンポを遅くしたり、早くしたりすることが、非常にたくさん、ほとんどの各段、ほとんどの音符や場所に必要なのです。と。

そしてその後でこう述べています。
『Dieses theilweise Abweichen mit dem festen Halten des Zeitmasses auf eine geschmackvolle und verständliche Art zu vereinigen, ist die grosse Kunst des guten Spielers, und nur durch ein feingebildetes Gefühl, grosse aufmerksame Übung, und durch Anhören guter Künstler auf allen Instrumenten, besonders aber grosser Sänger, zu gewinnen.』

 趣味がよく、そして納得させるやり方で、テンポを維持と、この部分的なずれをうまく結び付ける事、それが、良い演奏者の偉大な芸術です。そして、それらは、細かな感情、注意深い練習を通して、また、有名な、全ての楽器の演奏者、特に、偉大な歌手を通して、得られるでしょう。っと。

 最初のレッスン風景に戻りましょう。

 最初のレッスンで、おそらく私は、テンポを厳格に守っていたものの、微妙なテンポの揺れを使って、演奏を美しくすることが出来なかった。
次のレッスンで、おそらく私は、微妙なテンポの揺れを使って、演奏を美しくすることはできたかもしれないが、テンポの逸脱が大きすぎ、テンポの維持ができていなかった。


きっと、そういうことだったのだなぁ・・・ツェルニーの本を読んでよかった。



Lektion6ではもう少し詳しくアーティキレイションを見ていきたいと思います。
お時間が許す限りどうぞ!

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