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   ~音色の泉~
      
あなたが選ぶ色、私が選ぶ色
ーピアノの音色ー

ー目次ー
-Lektion1-    ートバイアス・マテイ『ピアノ演奏の根本原理』ー
-Lektion2-    ー音が出る場所ー
-Lektion3-    ー基本の考え方ー
-Lektion4-     ー手首ー意外と厄介なこの問題ー
-Lektion5-
     ーツェルニ―の音楽言語ー
-Lektion6-     ーアーティキレイションを見てみるー
-Lektion7-     ーLektion6における手の形ー
-Lektion8-      ーハイドンから見た古典派ー


ーLektion6ー  ーアーティキレイションを見てみるー


さて、最近勉強した曲の中にベートーベンのヴァイオリンソナタ 第10番 というものがあります。
そのメロディーを少しだけ変えてアーティキレイションについて書いていこうと思っています。






こういうメロディーが譜面に書いてあったとしましょう。(テンポ指示はモデラート~アレグロぐらいまで)


アーティキレイションを全て取り払った場合、残るのは、この骨組みだけだと思われます。
さて、この骨組みにどういう風に飾りをつけたりしていけばいいのでしょうか?


 まず第一に、もしこういう(何も書いていない)楽譜に実際に遭遇したら、おそらく、類似の箇所のアーティキレイションがあると思われ、なかったとしたら、曲の感じから自分でアーティキレイションを付けていくのは、私たちの義務であると思われます。もちろん、このまま弾く事も可能ではあると思いますが、その場合、早いテンポの中で、スタッカート気味に進んでいくと私は思っています。古典派、バロック、そういった時代の、何も書いていないものは、音の時価の半分を伸ばせば良い、という習慣に従うと、自然にそうなると思うし、これをゆっくりと、何の味付けもしないで、演奏する事は不自然である場合が多いからです(もちろん、特別な効果を生み出す事もありえます)思うからです。



では、アーティキレイションを付けた場合、どんな感じの譜面になるのでしょうか?





私はこういう風なアーティキレイションの一例があると考えています。


 おそらくこの音型にとって、良く見られる形は、A、あるいはCであると思われますが、皆さんはどうでしょうか?
Bに関しては、幾分バロックの要素を取り入れてみました。Dは、ベートーベンの書いたものをそのまま書いてみました(メロディーは違うけれど、アーティキレイションの形は同じです)。ちなみに、()付のスラーは、演奏者自身がいるかいらないかを判断できると思ったからで、そこは今回問題として取り上げませんでした、ごめんなさい。
スラー自体があるのと、ないのとでは、ずいぶん違うのですが、それは作曲者が指示してくれるだろうし、あるいは、皆さんの趣味の問題のようにも思えたので。ピアノ科の方なら付けて、弦楽器の方は付けないような気がする。(笑)



ところで、これらのアーティキレイションはどのような効果を持っているのでしょうか?


 AとBとCでは、全く違う聞こえ方がするように弾けなければ、作曲者の意図通りではないと私は思っています。どういう事かと言うと・・・

 例えば、Aでは最初の音E、2小節目G、3小節目G、が強調されるのに対し、Bでは、最初の音Eや他の部分もAと同様に強調されるが、もちろんだが、1小節目の中の、DとHも強調される。Cにおいても、Aと同様な部分は強調される。が、Bとはまた違う、1小節目の中のCとAが強調される。


私見ではありますが
Aでは、小節の1拍目が強調され、メロディーをきれいに聞かせてくれます。
Bでは、メロディーを聞かせることはもちろんだけれど、リズム遊びを聞かせてくれるように思われます。
Cでは、リズムがかっちりしていて、3拍子が取りやすく、聞いていて、安心できる気がする。舞踊などでよく使われそうな感じがしてくる。



 ところで、Bにおいて、1拍、2拍、3拍(一小節内の)ではないところでなぜ音が強調されるのか、ということもあると反論をもらうかもしれないが、それは、多くの本に書いてあるように、スラーの最初の音は、幾分強調する、という習慣があるためです。




ー強調するとは一体どういうことかー



 私は便宜上、~を強調、という風に書いていますが、強調というのは、音を単純に強く弾けば良い、という事では決してありません。それは数ある選択肢の1つでしかありません。私なら、Cにおいては、そういう手段を取るかもしれません。しかし、Bにおいて、DとHを強く弾きたいとは思いません。その代り、その後のC(Dの後の音)とA(Hの後の音)を幾分短くするという方法を取ると思います。
 なぜなら、せっかくのリズム遊びも、強く弾くと、Cのような音型に聞こえてしまう可能性があるからだ。Aの場合、過度にならないように、Eの音を引き延ばすやり方を私は選ぶかもしれません。


 なにを書きたいかと言うと、強調、あるいは、強拍、そういう風に書かれたとき、音の強さだけではないのだ、という事です。強調します。という風に書いてあり、ではその音を強く弾く、というのは、それは過度の強調とみなされると思われる。スラーの最初の音という強調の限度を超えた音の強さが必要であれば、作曲者は、そこに、アクセントや、スフォルザンドを書き足していたのではないかと私は思うのです。

 そして、時間の引き延ばしについても同様の事が言えます。もし、Bにおいて、最初の音を過度に引き延ばし、そして次の音を短くしたら、それは、付点8分音符と、16分音符の音型になってしまう。
本当に程度の問題であり、過度な逸脱は強調とは違う、という事は覚えておいて損はないと思う。




ー補足ー


過度な逸脱とはなんなのだろうか、という果てしない疑問において。
Lektion6に出てきているメロディーは、本当にメロディーだけの簡素なものであります。

 ところで、私たちが何かモノを言う時には、同じ単語だったとしても、つながりによって言い方が変わったりするのは普通の事です。それゆえ、今回私が書いた3小節のアーティキレイションも、もし、こういう条件で、こういう書き方がしてあったら、私はこういう風に弾くだろう一例しか書いていません。実際の譜面に向き合った時、これと似たアーティキレイションが出てきたとしても、調性、テンポ、和声が全て同じという事はまずあり得ないのです。それだから楽しいし、難しい所なのだけれど・・・



 どういう事かと言えば、例えば、同じAの譜面があったとしても、一方は、プレスト、一方は、アンダンテ、では、そのフレーズがもつ意味が変わってくるという事にある。プレストの場合、音を引きのばす行為はあり得ないだろう。アンダンテでは、音を引き延ばす行為があり得る。なぜか?プレスト、というテンポの性格上、テンポの引き伸ばしは、アンダンテとは違い、効果が薄く、下手をすると、プレストのテンポの性格を損ねてしまう可能性があるからだ。
和声に関しても、調性の問題に関しても同じような事が言える。


 紙を切るのに、はさみを使うか、カッターを使うか、はたまた手で綺麗にやぶくか、三角定規を使ってちぎるのか、あるいは裁断機を使うのか。紙がどんなもので、何枚なのか、どんな形に切るのか。その時々によって、使う道具は変わってくる。それと同じで、私たちは常に選択をしなければなりません。


 そして、そこにはこうしなければならないという明確なルールはほとんど存在しません。仮に奏者が、何も書いていないところで、不協和音をものすごく弱く弾いて、解決の音をとても強く弾いたとしても、その彼女、あるいは彼の解釈が、いいものであれば何の問題もないと私は思っています。ただ、作曲者はFと書いてあるけれど、私はppで弾きたいわ、というモノには納得できません。しかし、その場合においても、Fをどういう風に表現するのか、という事において、自由であると私は思っています。



次のLektion7ではこの時の手の形、音色の選択について考えたいと思います!

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