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   〜長い道のりのはてに・・・〜
      
様々な視点からの音楽


ー目次ー


ー遠い昔からー
ー2人から・先生という存在ー
ーパブロ・カザルスというチェロ奏者ー
ー馬頭琴演奏会から!−
ーCDを聞くという事についてー

ー音楽は進歩するのか?という疑問についてー
ー『ラ』は果たして『ラ』なのかー
ー留学・ウィーンに来てからー
ーウィーンの他の学校・大学のシステムー
ー大学の授業ー
ーグーテンベルクが音楽に与えた影響・日本語から見た音楽ー
ーグーテンベルクが音楽に与えた影響・印刷文化ー
ーリズムという言葉ー
ー解釈についてー
ー先生と言う存在ー







ー2人から・先生という存在ー



 私にはまだ先生という職業の経験もない、そんな私が教育について語るのはおこがましいと思うのだけれど、ここにはある種の思いがつまっている。それはいくら経験を積んだとしても、その土台にある、どういう教育を目指していくのか、これがはっきりしていなかったら、どんなに良い経験を積めたとしても、それは意味のない(ある意味ではあるかもしれないが)ものになってしまうだろうという思いだ。



 私がこういう風に思ったのはとある2人のおかげである。私はある時、ふと思ったのだ。その時の会話は、何か演奏会の企画とか、何気ないものだったと思う。でもどこか、この2人と私とでは考え方の基本となるところが違うと思ったのだ。当時私は、あまりその事を気にしていなかった。単に、私は田舎もので(静岡からやってきた地方出身者)二人は都会ものだからだと勝手に納得していた。後からわかった事なのだけど、先にどういうことだったかと言うと、彼らは、なんというか、本当の意味で、偏見にとらわれず、自分の意見を考えたり、自分でモノを見たりできる、という事だ。そして、その考え方の根っこの部分には、二人だけの価値観や、個性のようなものが入っている。だから、この二人はもちろん考え方がかなり違うし、考え方のプロセスもかなり違う。私はこの2人に会っていなかったら教育に関しては興味はあったかもしれないが、そんなに悩まなかったかもしれない。



<お願い!>
今から私は色々書きつづっていくけれども、誤解しないで欲しいのは、私は心底嫌だな、と思える先生に(当時は思っていたとしても)出会った事はないということだ。勉強が好きだったかどうかは別にしても、今私が音楽について‘’自発的”に考えられるのは今まで受けてきた教育の結果だと思うからだ。私は今まで受けてきたものや先生方を否定するつもりは全くない。本当に良い先生方だと思っている。ここでは、どこまでも、本や私の体験などを混ぜ合わせて、(投げかけはあるものの)自分の考えを単につづっているだけであって、他人を悪く言いたいわけではない。読んでくれている方の先生たちを決して悪く言いたいわけでもないし、ましてや私なんかよりはるかに知識が豊富で、経験豊かな先生も沢山いるだろう。

もし仮にこれを読んで先生を不信に思ってしまうのであれば、不信ではなく、その先生の良い所を見るようにして欲しい。それは、あなたが先生を、そしてその先生があなたをを信頼していれば、たやすいはずだ。私は一度だけ、先生が悪いんだ、という不信感を抱いたことがあった。でもその先生は私の事を真剣に考えてくれていたのを知っていた、だから私は先生からたくさんの事を教えてもらいたいと素直に思った。もちろん、いわゆるハラスメントに関わる問題は全然別であって、それは全くもって我慢する必要などない。

先生の事で悩んでいる事があったら、まずはお家の人や、周りの友人に相談してみると良いと思う。良くないのは、1人で考え込んでしまう事だ。あなたが普通と思っている事が、全然、全く、面白いぐらい普通でない事なんてきっと一杯あるはずだ!




ー少しだけお二人が話してくれた学校の様子ー


 中学時代はレポートに追われていた、そう語っていました。レポート?私はレポートなんて中学時代、書いた覚えがありません、彼女の話しぶりから察するに、レポートをいつも書いていたという事から、単に夏休みの宿題で〜とか言うわけではなさそうでした。

 もう一人は、週に何時間か、自由にしていい時間があったそうです、子供が興味あるものを自由に。(おそらくなんの制約もなく)ちなみに、修学旅行も選択だったらしく、自分が選ぶようでした。

 お二人が、少しだけ特殊な学校にいたのは事実ではありますが、なんとなくお二人と私との受けてきた教育の違いを知りました。
それと同時に私がお二人に抱いていた考え方の違いは教育の違いにあるのではないかと考えるようになりました。






ーとある本を読んでー

2冊の本があります。
1つは『教育論』バートランド・アーサー・ウィリアム・ラッセル(以下ラッセル)著  

もう一つは『モンテッソーリ教育の実践理論』マリア・モンテッソーリ(以下モンテッソーリ)著
 この本を読めたおかげで、私はお二人と自分の受けてきたものの違いを少しだけわかったような気がします。ラッセルとモンテッソーリ。この2人が著書の中で共通しているのは、教育を行う時に、先生が教えるのではなく、生徒が自分自身で学ぶ、あるいは学べるようにするということでした。こう言うとかなり当たり前のように聞こえるのですが、是非読んでみてください、2つともに、とても面白い本です。


 モンテッソーリの教育法に関しては、大体〜6歳までの子供たちを対象にしているものです。モンテッソーリ自身は元々お医者さんだったようで、精神遅滞児の研究をしていたようです。そこから学んだことを基にして、教育法を編み出しました。モンテッソーリ教育法における最良の教師のすごさは、次の一文にあるそうです。


『書き方を学んでとても喜んでいるどもが、書けることにたいへんうれしくなって、先生のところへ行って、「ねぇ、先生も書ける?」と聞きました。教師は指導し、発達させることに成功し、そして、そこに到達したことを最大限に隠すのに成功したのです。それこそは、個人としてのこどもの自由と発達の原理に基づいた教育法の最も重要で最大の勝利です』(原文)



 これを読んだ時何を言っているのか分かりませんでした。しかしよくよく読んでみると、この一連の流れにはとても驚くことがあります。受け取り方の違いもあるとは思うのですが、子どもは先生に書き方を教えてもらったと認識していないこと、私はこの点に驚きました。モンテッソーリが目指したものは、子どもたちが、自分で考えたり、発達できることを信じ、そして、教えるのではなく、手助けし、なおかつその手助けを悟られない。そういうことだったのではないのでしょうか?


 従来子どもは、1つの事に集中できない、とか、外部からの抑圧、要するに、怖がらせたり、おまけを与えたり、そういう事をしなければ、言う事を聞かないという概念を教育方法のなかで覆した人、と言えるのではないでしょうか?
もしかしたら、このサイトを読んでもらっている方からは、それは子供たちが元々の育ちがよかったからではないか、と思うかもしれません。しかし、この教育法を使った最初の場所は、スラムの中だったそうです。



 モンテッソーリのこの教育法の事を、ラッセルは『教育論』のなかで、惜しみない称賛を度々送っています。当初ラッセルは、この教育法に関しては、しつけをしないのにどうしてそんなことが出来るのだろうか、と不思議に思ったそうですが、最終的には、モンテッソーリ教育法にはしつけがちゃんと存在していると書いています、そして、自分の息子をモンテッソーリ式の教育機関に入れてみると、息子は以前よりしつけがよくなったと述べ、さらに、息子は外部からの抑圧によって、ルールを守っているわけではないと確信したそうです。もっと例えを入れた方が分かりやすいのは重々承知なのですが、余計な先入観はこの場合においては、とても邪魔なものだと思うので、モンテッソーリ教育法、面白いと思います!





 ラッセルとモンテッソーリはほぼ同年代に生まれていて、(モンテッソーリは1870年、ラッセルは1872年)教育論に関しては似ている所が多々あります。違う所と言えば、それは、モンテッソーリは〜6歳ぐらいまでの教育方法を編み出したのに対して、ラッセルは教育の目的や、あるいは、こういう時にはこうしたら良い、というような処方箋のようなもの、また、生後1年から大学に至るまでの教育に関しての事が書かれています。


 ラッセルの『教育論』がどういうものか、という事に関しては申し訳ないのですが、一概に言えません。私の中で、大いに共感できた部分もあれば、知らなかった部分(大半は知らなかった部分ですが)もたくさんあり、私が持っていた知識から想像できないこともたくさん書かれています。ちなみに、この本は1926年に書かれています。80年以上前です。著者は自分に子どもが出来たのを機に教育問題に熱中して、自分で私立の学校まで作ったそうです。80年も前なのに、今の教育問題に通じるものもたくさん書かれていると思います。ラッセルは教育によって、活力、勇気、感受性、知性を育むことを目指していたようです。その中で、面白いな、っと思ったもの、『感受性について』を要約して書いておきます。


『感受性の発達における事の中に、共感というものがある。幼い子供は、兄や姉が泣いていれば自分も泣き出してしまう。これを2つの方向へ拡大する事が重要だと思われる。
1つは、苦しんでいる人が特別な愛情の対象でない場合でも共感を覚える事。
1つは、その苦しみが感覚でとらえられる形では存在していなくても、今起こっているのだと知るだけで共感を覚えることである。
例えば、愛する人ががんで苦しんでいる時には、ほとんどすべての人は深く心を痛める。たいていの人は、見知らぬ患者が病院で苦しんでいるのを見ると、心を動かされる。
しかし、そういう人達にしても、新聞かなにかで、がんの死亡率が〜だ、と書いてあったとしても、一瞬個人的な恐怖にかられるだけだろう。
同じ事は戦争にも言えて、自分の息子や兄弟が手足を切断されたりすれば、恐ろしいが、百万人がそうなったとしても、百万倍恐ろしいとは思わないだろう。
上海の綿糸を製造する会社に投資したとする。あなたは専門家の助言で投資をして、ただ配当金に興味があっただけかもしれないが、もし、幼い子供が実は残酷で悲惨な労働を強いられた上での利益であったとしても、気にしない。なぜなら、その子たちを見たことないし、抽象的な刺激で心を動かされることは無いからだ。
科学は私たちが遠方の人々の生活に影響する力を増大してくれたけれど、その人たちに対する私たちの共感は増大してはくれなかった。』



 これを時代を感じるなーっで終わらせるか、現代にもこういう事はある、と思うかは皆さんしだいだが、私自身としてはよくあることだと思う。ラッセルはこれについて、近代社会の弊害は、抽象的な刺激に対する感受性を養えば、大部分はなくなるだろうと説いている。
ラッセルのテーマは確かにかなり大きなことであるが、これを日常生活に置き換えて考えてみればいいわけだ。皆さんはどう思うだろう?




 ラッセルの私たち(先生)への贈り物を少しだけ『第三部 第16章 最後の数学年(おそらく高校生あたりの生徒)』より


『全学年を通じて、知的冒険の感覚がなければならない。自分でわくわくするものを見つけ出さなければならない。ゆえに、決められた課業は多すぎてはいけない。褒める時にはほめ、誤りは指摘しなければならない。しかし、誤りを正す時に、非難が含まれてはならない、生徒たちに、自分の頭の悪さを恥ずかしく思うようにさせてはならない。教育における大きな刺激は、達成可能なのだと感じる事である。退屈だと感じる知識はおよそ役に立たないが、熱心に吸収したものは、永遠の所有物である。知識と実生活との関係を生徒たちによく見えるようにしてやるとともに、知識によって、世界を一変させることができることを理解させてあげるといい。教師は、常に生徒の天敵ではなく、味方であると思われるようにするといい。』


こんなことも言っている。
『数学においては変化を与えるために、数学の個々の問題が科学や日常において及ぼした影響について、講義をしてやらなければならない、その際、高等数学に見出される喜びの数々にも触れるとよいだろう。
歴史の詳細な授業にも、たとえ、疑問の余地のある一般化が含まれていても、すぐれた概説書で補足してやらなければならない。こういう一般化には疑問の余地のあることを話した後で、詳しく勉強してこれを支持するのか、反対するのか、考えてみるように勧めるといい』


 数学なんて役に立たないと思わせてはいないだろうか。(私はピタゴラス音律というものがあるのを知るまでそう思っていた)歴史の授業において、あるいは時事問題において、自分の信条のプロパガンダにしてはいないだろうか。自身が勉強して、より良い知識を持とうと努力しているだろうか。


 音楽の授業においてこんな一面があるのを、とある、とても上手な声楽の先生から聞いた

音楽の先生はこう言ったそうだ「みんな、心を合わせてー」っと。

声楽の先生はこう言った。「合わせて歌う技術を教えるのが音楽の先生なのでは」っと。
同感。というかなんというか。音楽が学校の授業の中で、重要視されていないのには理由があるのがなんとなく分かった一端であった。


 音楽がとんでもなく誤解されているのはなぜなのだろうか?といっても私もウィーンに行くまではそうだったかもしれない。音楽はとかく、科学的だし、物理的だ。私はそう確信している。その上で初めて感性と言う物が問われる。私はそう考えている。


ラッセルはこうも言っている。
『アメリカでは、学部の時には怠けていた生徒が、法学や医学の大学院では猛烈に勉強する。それはなぜか。自分にとって重要だと思われるからだ。学校の勉強を生徒たちにとって重要なものに思われるようにすれば、彼らは一生懸命勉強するだろう。』



 ラッセルの面白い所は、旧式の教育を全てだめだ!と言っているわけではないところだ。旧式の教育にも利点はあったと言っている。そして、押さえつけられた(旧式の教育)もので良かった点は、旧式の教育を新しい教授法にしたとしても、その利点を失ってはいけない、という事だ。そこに近代教育の欠点があった、っとラッセルは言っている。

日本で言えば、こんなとこだろう。詰め込み式の教育は悪いーゆとり教育ー再び詰め込み式。詰め込み式の教育は実際問題として、子供が勉強するのだろう。生徒を罵倒したり、体罰を加えたりすれば、抑圧の中でも、恐怖ゆえに頑張るかもしれない。しかし、それは良くないと思って、ゆとり教育にした。そしたら、今度は勉強しなくなった。ゆとり教育における理念はよかったかもしれない。しかしそこに至るには、旧式の抑圧を圧倒する教育の技術,
恐怖で勉強させるのではなく、教育者が、子供たちに自発的に勉強をするように教育を施すという技術、がいるのだと私は思った。



 モンテッソーリ教育は、おそらく、幼児教育において、旧式のそれを凌駕したのだろう。モンテッソーリ教育は、私見ではあるが、子どもをなんの制約もなしに、自由に教育させる、という様に見えて、そこには本当に考えられた、教授の仕方と言う物があるのだろう。例えば、それはモンテッソーリ教具の中に詰まっていると私は思う。子供におもちゃを与えて、自由にさせておき、教育する、放任というものとは全く違うはずだ。子どもは、教具を使って、集中し、自分の中で発達していく。だれが思っただろう、子供がずっと同じ教具で同じ事を繰り返ししているなんて。
 高等教育においては、そういったやり方はラッセルは反対はしないものの、それだけでは立ち行かないと考えているようだった。私は、本当に何も知らなかった。この2冊の本に出会わなくて良かったと心底思っている。









ー今思う事ー


 2冊の本、そして私に影響を与えてくれたお二人。今まで教育について全く考えてきませんでした。変な話、学校で行われている教育がどういうものか、というよりも、どの学校に行ったとしても、大差なんてあるわけない、せめて、荒れていない学校に行けて、非常識な人がいなければいいなぁっという程度にしか思っていませんでした。これはかなり大きな、間違った認識であるという事がよくわかりました。それと同時に、私が受けてきた教育、そしてお二人が受けてきた、また、2冊の本からもらえたものを通して、自分なりに考えていけたらと思いました。
 私は、今まで付いてきた諸先生方が立派な方達だったのだな、っと自分の恵まれた環境に感謝しています。大学時代に基本を教えてくれた、木内泰子先生、高校時代に初めてプロの技術で魅了してくれた黒川浩先生、名前は挙げないけれど、他の諸先生方も立派な方達ばかりでした。また、受けれた時期もよかったのかもしれません。私は今思うと、本格的にピアノを始めてから、同じ先生に3年以上付いたのは、ウィーンに行ってからの事でした。
先生方は皆さんそれぞれの教育を私に施してくれました。レッスンを受ける事が苦痛だったことは、ないと言える。(おそらく、多分笑)



 ピアノを教える、音楽を教えるのはとても難しいと思う事があります。例えば、レッスンに来た生徒に、この音楽はこういう部分が良くて、この部分はこうで、と説明した場合、それはその教えた人の知識が伝わるのであって、それに共感を覚えたとしても、それはその人本人が自分で感じた、あるいは考えたものではないかもしれないからです。


 なかなか言い方が難しいのですが、この部分はこう、ここはこう。という教え方には疑問が残ります。というのも、そこには科学的に、あるいは、楽譜の読み方を教えていない、という所にあります。楽譜に書いてあることを指摘するのはもちろんですが、もっとこうした方がいいのはなぜか、それが理解されていなかったら、それは単なる押し付けにしか過ぎません。そして最後には、教えられた生徒はきっと当惑してしまうでしょう、その先生がいなくなった時に。


 音楽の世界には、感性至上主義ののような方がいらっしゃいます。そこにはある意味で、真実が含まれているのが、この問題を‘むつかしくしている’一つの要因であると私は考えています。要するに、色んなことを知ってようが、下手な奴は下手。逆に、頭が悪くても、うまいやつは上手い。感性が豊かな奴はうまいんだ、っと。


というのも、感性が豊かであるという1つの才能は、音楽表現において、紛れもなく優れた才能であるのは確かなのです。ゆえに、それが一番重要であり、他の事はどうでもいいのだ、というのが先行してしまう、それも仕方のないことかもしれません。しかし、学問上の知識、例えば、シューベルトはいつ生まれた、とか、バッハはいつ生まれた、とかそういう事が、もっと細かく言えば、この曲が作られたのは、いついつで、どんな状況で、作曲家は当時どうだった、という事を知っていて、それを音楽で表現できるのも1つの技術なわけです。感性による音楽表現はそういった技術のうちの1つでしかないのです。感性の思うまま、勝手気ままに弾いていたらすごかった、と言うのであれば、その人が天才なだけであって、私には残念なことにそれはできません。



 そういう面で、ウィーン音大の教育科の生徒さんたちの演奏は、私にとって、とても興味深いものでした。というのも、テクニック、音の間違いや、そういうものは確かに、演奏科に劣っているものの、和声の取り方、解釈においては、演奏科なんかよりもずっと、面白い弾き方をする人がたくさんいました。そういう人たちの演奏は、何をしたいのかが良くわかって、とても楽しいものでした。何をしたいか、と言うある意味であやふやなモノを表現するということが、技術ではなく、感性なんだ、と言われるのであれば、私もそれには反対はしません。単にそれは言葉の使い方が違うだけで、言っている事は同じだからです。
なんにせよ、ウィーン音大教育科の方々のピアノ演奏は、あたかも、その沢山の授業の中での知識、経験が裏打ちされているようで、私の心にはとても響くものでした。こういう演奏ができるのは、お目にかかれないかもしれませんが、作曲家の方のピアノを聞くと、まさにこういう演奏が聴けると私は思っています。





ーウィーンでのレッスンー


 先生が弾いてくれる場合はどうなのでしょう?私は本当にまれにこういうレッスンを受ける事がありました。


私がある部分を弾き終わると、「Schoen!(いいね!)」
と先生が言ってくれた。そして、先生は僕だったらこうするよ、と言ってピアノに座った。
悔しいなーかなわないなーっと思った。


 こういうレッスンを受けれた時、私は特に幸せでした。ルッツ先生は私に、そこに至るまでの経緯、自分の思い、そういった全ての物を、ピアノを通じて私に教えてくれました。
先生のピアノに、信じられないかもしれませんが、よく泣かされたもんです。先生が弾くと、ピアノはまさに魔法のように奏でられ、私の頭の中は、音の景色でいっぱいです。そしていつの間にか、現実の世界はにじんで、おぼろげになってくる。
先生の考えなどは、ピアノを通じて私に流れてきます。これを先入観を植え付けるものだからやめなさいと言われるのであれば、私は先生になんてなりたくありません笑



ソロの先生、リュスラー先生はどうだったのでしょうか?

私は実はあまり教えてもらった感覚がありません。しかしながら、ルッツ先生はある時、私にこう言いました、君、ピアノ上手くなったねっと笑 


 リュスラー先生は私のクセを無くそうとしてくれました。例えば、「あなたは和音を弾く時に、左を向くけど、そこになにか意味はあるのだろうか?」という種類の投げかけがよくありました。先生はこういうクセに関する事、門下生発表会の後で、よく私に投げかけをしてくださいました。「今日はどうだった?」というような、答えにくいものも多数ありました(笑)
 そして、そこで私が言ったことに対して、先生なりの助言を加えてくださいます。先に先生が感想を言ったことは無かったように思います。暗譜とんでたねっとかでなければ(笑)
初めの一歩は大体投げかけでした。
これは音の間違いにしても同じです。先生がユニークだったのは、時々、「ああ、このピアノ弾きにくいよね」っとなることもあったことです。ピアノに対して、弾きにくいってそんな、っと思う事もありましたが、楽器が悪ければ弾けない、っというのもまた事実なのだ、とも思わされました。


 ピアノのの良しあしについてはさておき。リュスラー先生は私に、頭の整理整頓と、クセを治すこと、そして、効率のよい弾き方を教えてくださいました。特に頭の整理整頓はかなり大変でした。指使い、姿勢、曲の構成、そして戦略
先生は間違っていると、どうして間違うのか、という事を尋ねてきます。「イデ、弾きにくい?指使いは?」とまあこういう感じで。そのあと、曲の構成について聞かれ、あるいは、姿勢を注意されたり。そして、戦略を考えろ、という事をよく言われました。戦略と言うのは、どういう風に音楽表現をしたいかではなく、ここにF、あるいはPがあったら、それをどういう風にそこまで持っていくか、というような事です。Ritをかけるタイミング、アッチェレをかけるタイミング、君は考えてますかー?っと聞かれているようでした・・・


 また、効率の良い弾き方というのも、なかなか秀逸でした。これを説明するのはなかなか難しいのだけれど、どうやったら、人間の体は(この場合は手とか、腕とか、指とか)楽に動くのか?という事です。例えば、トリル一つとっても、指を35で弾くのと、45、23、24、12、13、14、どれをこの部分で弾くのかが良いのかという事です。



机を端を叩くようにしてやってみましょう、重力に任せて、23の指を交互に叩いた場合、3の方が強いことに気づくでしょうか?23、の順でやっても、32の順でやってもおそらく3の方が強いと思われます。こういう事をたくさんではないにしろ、教えてくれました。
重要なのは、たくさん教えてくれるのではなく、こういう事もあるのだ、という事を教えてくれた点だと思っています。


 色々な先生と出会えた私は幸せ者だと思います。先生方の教えを思い出しながら、自分なりのやり方を考えられるようになればいいなあ、っと思いました。10年ぐらいしたらもう一度見つめなおしてみたいと思っています。

昔高校生の頃あるCDを聞いたことを私は忘れないと思います。
次は、偉大なるパブロ・カザルス奏者の本を読んだのでその事を書きたいと思います。

ーパブロ・カザルスというチェロ奏者ーへ