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   〜長い道のりのはてに・・・〜
      
様々な視点からの音楽


ー目次ー


ー遠い昔からー
ー2人からー
ーパブロ・カザルスというチェロ奏者ー
ー馬頭琴演奏会から!−
ーCDを聞くという事についてー
ー音楽は進歩するのか?という疑問についてー
ー『ラ』は果たして『ラ』なのかー
ー留学・ウィーンに来てからー
ーウィーンの他の学校・大学のシステムー
ー大学の授業ー

ーグーテンベルクが音楽家に与えた影響・日本語から見た音楽ー
ーグーテンベルクが音楽家に与えた影響・印刷文化ー
ーリズムという言葉ー
ー解釈についてー
ー先生と言う存在ー


ー大学の授業ー



ウィーン音大に入って良かったと思うのは、レッスンももちろんだけれどそうだけれど、それ以外の座学や、レッスン形式の授業にある。座学では、ソルフェッジョ、歴史、楽器学、音楽理論一般、こういった私たち音楽家の基礎のようなものもとても面白く教えてもらえる。音楽理論は特に面白かったのを良く覚えている。もう少し、専門的な分野に踏み込んでくると、私の在籍していた伴奏科は、鍵盤楽器の歴史、歴史的演奏法、ピアノの構造、ドイツ語の発音、こういったものがあった。



鍵盤楽器の歴史は、先生の持っているコレクションがすごすぎて、小さな博物館のようだった。オリジナルの楽器も所有していたようだった。そうして、実際にそれを使ってバッハや、モーツァルトを弾けた。


歴史的演奏法は、他のページにも書いてあるので、詳しくは書かないが、バッハの時代、モーツァルトの時代くらいまでの、楽譜の読み方、分析の仕方を教わった。多分この授業を受けた人は、テンポ・オリディナーリオ、という言葉を一生忘れないだろう(笑)


ピアノの構造は言うまでもなく、ピアノの構造を学ぶ授業だった。先生の工房に足を運び、触りだけではあるが、ピアノの制作過程や、そういったものを見学できた。


ドイツ語の発音は、私たち歌曲伴奏科にとって、とても楽しいものだった(と私は思っているが)。先生自身が歌手なのと、おそらく研究分野が発音なのか、とても細かい発音のメカニズムを教えてくれた。



どうだろう?楽しそうではないだろうか??
座学ではないレッスン形式の授業としては、即興演奏、通奏低音、ピアノのグループレッスン、伴奏のグループレッスン、室内楽などが必修科目としてあった。
また、いわゆる自由選択科目では、チェンバロ、ハンマークラヴィーア、リトミック、リトミックの理論(これは座学)をとった。リトミックの理論も面白かった。足の関節は一体いくつあるのだろう?自分たちの体を理解するのに良い授業だったと思う。





ウィーン音大ではこういった事を(もっとたくさん授業はある)6年かけて学ぶようになっている。果たして6年という期間は長いだろうか?私はごくプライベートな会話の中で、ある先生がボローニャ・システム(プロセス)について反対だ、という事を聞いたことがある。その観点から見た大学の授業を振り替える、という事について少し書いておこうと思う。これは、多分に個人の事情も絡んでくるので、これが絶対的に正しいとは言えないが、少しだけ頭の片隅に置いておいても良いと思う。



実のところ、私はどうしてもできなかった歴史の授業1コマ分と、時間的都合からソルフェッジョの1年分を振り替えた。だからあまり大きな事は言えないのだけど、座学が無駄だと考える音楽家が多すぎる様に私は思う。理論は演奏の役に立たないのだろうか?こういう授業は私たち音楽家にとって無駄なのだろうか?

確かに、人それぞれ興味の対象が違うのは仕方のない事だ。現代音楽に全く興味のない人が、現代音楽の座学を受ける事に興味がないのはなんとなく分かる。だけど、その人が他のすべての座学を意味のない物と捉えているかと言えば、全くそんな事はない。ここで無駄と答えられる人は、自分が何を選択すれば良いかわかっている方たちだと私は信じている。



他大学で学んできた授業と同じものがあったとしても、それが例え同じレベルの講義だったとしても、その授業で学んだことと全く同じ事を学んでいるわけではない。私は授業を受ける中で、ある授業で学んでいたことが、他の授業でも同じことを言っているという場面に遭遇する事がよくあった。これがウィーン音大という教育のシステムなのか、ヨーロッパの大学のシステムなのかは私には分かり兼ねるが・・・大学が行うカリキュラムは相当綿密に考えられているような気がした。そういう意味では、単位の振り替えは、実際その大学にとっては異物でしかない。他大学で学んだ知識が無駄なのではなく、考えられたカリキュラムの中で、授業と授業とが影響しあうという効果は期待できないと言う意味である。


また、6年間のカリキュラムがあるものの、単位の振り替えや、学位の認定などを持ってウィーン音大を卒業する場合、6年間レッスンを受ける権利を放棄して、実際は3年か3年半で卒業試験を受ける事ができる(必要な単位を全て習得すれば、基本的にはいつでも卒業試験を受けれるため)。ある先生はこの部分がひっかかっていた。曰く、短すぎる。



このお話を聞いたことがきっかけで、色々と考えるようになった。大学の授業というものは感性を養う場所ではなく、音楽家、演奏家として必要な理論や、知識、そういったものを叩き込まれる場所だと思うようにもなった。レッスンにしても、音楽表現にももちろん踏み込むが、ピアノをピアノと弾かなければまず間違いなく指摘される。そういった根本的な部分を身に着ける場所であると思うようになった。こういった事を習慣化するには、実際時間がかかるものである。


とはいうものの、これは本当に個人の事情があるので、実際なんとも言えない。私は、短大を卒業しただけで、大学の授業を受けた事が無かったので、こう思うのかもしれない。また、22歳という年齢に達してから大学に入った事で、そう思ったのかもしれない。
大学に入ったものの2年で帰国しなければならない人だっている。卒業する前に、就職が決まる人だっている。すでに世界で活躍している人もいる。実際みんな優秀なんだ(笑)
だから、こういった事に正解は無いのだと思う。ただ、授業が面白いのは本当だから、色々な授業を受けてみる事をお勧めする!





余談だが、基本的に私たちのレッスンは自筆譜に近い原典版を使う。帰国してから日本で出版されている楽譜を見るとちょっと驚きを覚える。余りにも個人の考えが入り込みすぎているからである。向こうの先生方に日本の楽譜を持っていくと笑われる、という話がある。当然なのだ。ベートーベンが書いていないスラーが一杯あるし、強弱記号もある。特にスラーは問題で、スラーがフレーズを示しているように書かれている場合がほとんどである。スラーがフレージングを表す記号にいつからなったのだろう・・・何が言いたいかって、もし新しい楽譜を買うことがあったら、先生に何版が良いか尋ねておくことをお勧めする(笑)



ー最後にー



色々書いてきましたが、少しでも留学を考えている方のお役に立てれば幸いです。
このページを書いたきっかけは、帰国してから、留学を希望する方とお話をする機会が増えた事にあります。良く聞かれることをまとめて、最初は箇条書きで書こうと思っていたのですが、結局私の時系列で書く事になりました。多少お見苦しい点があるかと思いますが、申し訳ない。

なぜ時系列にしたかと言うと、留学に対する個人個人の思いも違えば、どうやって留学するかも違っているからです。ですので、ある部分だけ取り出して、こうだった、という風に書く事はやめました。それで、結局こういう形で書いてみました。

とりあえず今回は大学に関係する事だけに焦点を絞って書いてみました。生活その他に関する事は、またいつか書こうと思います。もし何かご質問等ありましたら、メールでも頂ければ、できるだけお答えしますので、お気軽にどうぞ。


留学は思い通りに行きません。様々な個人的事情が複雑に絡まってきます。
私も、もし自分の思い通りになっていたら、伴奏者にはなっていなかったでしょう。

日本を離れ、遠い地で勉強する事は、とても楽しく、そしてとても大変な事です。
留学は、生き抜く事が成功ではないでしょうか?ある牧師先生に言われた言葉です。私はずいぶん気持ちが楽になったのを今でも覚えています。

皆さんの留学が実りあるものになるようにお祈りしています。

井出徳彦







次の項目は活版印刷が音楽家に与えた影響を考察したいと思います。