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   ~長い道のりのはてに・・・~
      
様々な視点からの音楽


ー目次ー


ー遠い昔からー
ー2人からー
ーパブロ・カザルスというチェロ奏者ー
ー馬頭琴演奏会から!-
ーCDを聞くという事についてー
ー音楽は進歩するのか?という疑問についてー
ー『ラ』は果たして『ラ』なのかー
ー留学・ウィーンに来てからー
ーウィーンの他の学校・大学のシステムー
ー大学の授業ー
ーグーテンベルクが音楽に与えた影響・日本語から見た音楽ー
ーグーテンベルクが音楽に与えた影響・印刷文化ー
ーリズムという言葉ー
ー解釈についてー




ー先生という存在ー



22歳だったか、23歳だったか、先生になりたいと言った事がある。その時その場にいた友人には、それは(演奏からの)逃げなんじゃないの?と言われたけれど、そうではなくて、敬愛するルッツ先生やリュスラー先生に出会った事で、こういう先生っていいなぁと、一種のあこがれの様なものを持っていたからそう言ったんだと思う。

帰国して4年が経ち、自分の事を先生と呼んでくれる人も少しずつ増えてきた。今回は自分の先生としての土台や理想の様なものを書いてみようと思う。


ールッツ先生との出来事ー



色々考えた末に行きついたのは、ルッツ先生との出来事だった。私が日本に帰国する旨を伝えた時、ルッツ先生は最初は驚いた様子であったけれど、特段私の事を引き留める事もなく、私の意見を尊重してくれた。そして先生は私に残りの2年で教えようと思っていたことを残りの4か月で教えることにしよう、と言ってくれた。

そう、ルッツ先生は私の事を引き留めなかったんだ。今考えると、ここに自分の先生としての土台があるように思う。先生はその生徒の先生をやめる(終える)という事である。

この事はいわゆる学校の先生にとっては当たり前の事なのかもしれない。というよりも、ほとんど自動的に終える事になる。小学校、中学校、高校では基本的に何年で卒業かが決まっているし、おそらく一般的な大学もそうだろう。しかし音楽大学では、卒業後も先生にレッスンを受ける事は良くある話ではないだろうか。


音楽の世界において、この事に関しては様々な事情があるのは確かだとは思う。だけど、それらを踏まえても、先生をやめるという考えが無ければ、いつまで経っても生徒は生徒のままではないだろうか?
趣味でピアノを弾いている生徒であれば良いのかもしれないが、プロになりたい人に教えるのであれば、そういう考えが無ければいつまでたっても教える事は尽きないし、計画を立てられない。ルッツ先生の、残りの2年間で教えようと思っていたことを残りの4か月で、という言葉は、先生を終える事を前提に考えていなければ出てこない言葉だろう。

先生をやめる事をきちんと設定すれば、最終的に生徒がどうなっていて欲しいかを考えるようになる。そうすると、本当に教えなければならない事が見えてくるのだと思う。応急処置的なレッスンを延々と続けるのではなく、長期的な展望で教える事ができるようになるのかもしれない。ルッツ先生はそう言う意味で、教科書・ルッツを持っていたのだと思う。



ーあちら側とこちら側ー



これは感覚的なものなので少し分かりづらいかもしれない。先生はあちら側にいるべきである。 あちら側、そう書いていて自分でも抽象的なものであるのは否めないが、それは単に技術的に、音楽的にも素晴らしく弾いたり歌えたりする人達がいる世界、とは少し違う。それらが必要であるのは確かだが、それだけでは足りない。

音楽を楽しむことだろうか、雰囲気や魅力だろうか、それとも曲に対する深い思い入れ?どれも違う気がする。音楽を自分の創造物として扱える人たちの住む世界、というのがしっくり来るような気もする。


ルッツ先生は良くピアノを弾いてくれた。たまに、今日は疲れているから弾けないなぁ!と少しお茶目に言う事もあったけれど、その演奏は紛れもなくあちら側の世界だった。まだ生徒だった私は、どうしたらこんな風にピアノが鳴るのかが不思議でしょうがなかった。私にとってこの時間はとても幸せな時間だった。だから自分もこういう世界を見せれる先生でいたいなぁと常々思う。


この項目で最後に1つ言える事は、最終的に生徒自身があちら側に行く為には何かきっかけのようなものがあると私は思う。私にとっては多分、それはウィーン音大での最後の試験だったように思う。


ーまとめー


先生をやめる事を前提に考え、改めて先生と自分を眺めると、色々と学ぶ事が多かった。ルッツ先生のレッスンは1、2年目では、どの曲を弾いても楽譜に忠実に表現する事だけをやり、3、4年目で私にあちら側の世界を見せてくれ、そして5年目には、自分で考えてあなたの音楽を作りなさい、と言ってくれた。

音楽は自由に見える。それこそ個性とか、楽しめばいい、という類のものであるという考えもあるが、私は全てがそうだとは思わない。例えば料理の本を見ると、その料理人の方のきちんとしたレシピがある。そして最初は皆レシピ通りに、まあ調味料が無い時も多々あるけれど、そのレシピ通りに作る。これがいわゆる基本だと思う。こういう事を先生は教えてくれた。そして時には、先生自身の技というか料理というか、そういったものを見せてくれた。

先生が全てを教えられるわけではないのだ。繰り返しになるが、基本がまず第一である。(そういう意味でルッツ先生は殊の外厳しい先生だったと思う)基本がなんとなくできてから、ルッツ先生独自の世界やピアノを見せたり聞かせてくれたりした。私は夢中で何がどうなっているのか考えた。そうしておいて、最後にあなた自身の音楽を作りなさいと言うんだ。教えられるのではなく、いつも考えさせられる事ばかりだったと思う。私もこういう先生になりたいなぁと思う。




ーおまけ・伴奏者からー


おまけとしてはテーマが重いかもしれないが、先生の事を書いたので、先生との関係についてドイツ歌曲の伴奏者と言う立場、言葉を扱う立場から少し書いておこうと思う。伴奏者をしていると、先生との関係で悩んでいる人が思っているより多い事を知っているからである。多少ひねくれている事を書くかもしれない。もしかすると私はちょっと疑い深い人間なのかもしれない。


昔何かの本で、幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はそれぞれ違う事情で不幸である、という言葉を見たことがある。先生との悩みもまた様々であると思うので、あまり適したアドバイスになるかはわからないが、耳障りの良い言葉には注意を払った方が良いと私は思う。

私が言う耳障りの良い言葉とは、スローガンの様な、単純で分かりやすく、心になぜか入ってくる言葉である。例えば、あなたの為を思って言っているのよ、あなたには音楽が無いわね、音楽で1つになりましょう、音楽はもっと自由であるべきです!音楽をもっと楽しみましょう!といった言葉である。

これらの言葉は、言葉自体には意味がない。だけれども、あなたの思いや考えを、放った言葉の持ち主の意図する方向に進ませるような言葉である。簡単に言えば、あなたを扇動するような言葉である。上に挙げた言葉は常套句のようなものであるとすら私は思う。


もしこれらの言葉を使う先生がいたならば、注意した方が良いかもしれない。なぜなら彼らはあなたを育てたい気持ちよりも、指導者と言う立場が好きな場合があるからである。

言葉の選び方がとても難しいのだけど、なんとなく言いたい事は伝わっているだろうか。


指導者という立場が好きな人は、実のところとても面倒見がよかったりもする。それは何故かと言えば、生徒を育て、その生徒が評価されれば自分が認められたと意識的に、あるいは無意識下でも思うからであると私は考える。しかし、生徒が他人に評価されたから自分も評価される、というのは私は間違っていると思う。
なぜなら、生徒は1人の先生からのみ学んでいるわけではないからだ。周りを見渡せば、色々なものから学べる事は沢山ある。本人が生きていれば、いつも同じ自分だという事はあり得ない。
先生といる時間は、週に何時間だろうか?生徒がそこでしか学べない事は確かにあると思うが、それ以外で学んでいないわけではないだろう。もちろん、生徒が他人に評価されて、それが先生として嬉しいかどうかは別の話だ。


また、彼らは先生をやめるという事を考えていない。だから生徒が離れていくのを理解できないし、止めようともする。指導者としての自分が好きだから、生徒が離れていくのが我慢ならないのだ。つまり、これだけ私が育ててあげたのに!というタイプである。

本当の先生とは自分の評価など気にしないのだろう。俺はあいつを育ててやった、という発言などまず出ないと思う。しかし何度も言うが、指導者という立場が好きな先生は違う。指導者の評価は、自分に従う人数の多さが自分の価値であるという勘違いもする。だから人を扇動するのが上手になる。どう言えば感動的か、どう言えば引き留められるか、どう言えば多くの人が耳を傾けるかを良く知っている。彼らは自分の王国を作っているだけである。よくよく話を聞いてみると、おかしな点が一杯あったりする。


結局のところ、何よりもまずは悩んだら、先生と距離をおけば良いと思う。友人や音楽以外の知人に話をしてみると、どれだけ先生と自分の関係が変なのかがわかるかもしれない。あなたは先生の所有物ではないんだ。

最後に決めるのは自分だ。離れないのも良いし、離れて新しい土地を探すのも良いと思う。本当に悩むと思う。あなたにとって良い選択が見つかりますように。


井出德彦