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   ~長い道のりのはてに・・・~
      
様々な視点からの音楽


ー目次ー


ー遠い昔からー
ー2人からー
ーパブロ・カザルスというチェロ奏者ー
ー馬頭琴演奏会から!-
ーCDを聞くという事についてー
ー音楽は進歩するのか?という疑問についてー
ー『ラ』は果たして『ラ』なのかー
ー留学・ウィーンに来てからー
ーウィーンの他の学校・大学のシステムー
ー大学の授業ー
ーグーテンベルクが音楽に与えた影響・日本語から見た音楽ー
ーグーテンベルクが音楽に与えた影響・印刷文化ー
ー解釈についてー
ー先生と言う存在ー



ーリズムという言葉ー




長年音楽に携わっていると、あの人の演奏は技術は素晴らしいけれど音楽がないという批評を聞く事があります。こういう批評を耳にする時、音楽自体は教える事ができないのだろうかと、いつも考えていました。


音楽において、弾く事、発声などの技術は色々な方法で教える事ができるが、いわゆる音楽性は個性や感性、あるいは人生経験に委ねられるというスタンスに、私は賛成ではありません。確かに音楽性の発展において、どういう表現を良いと思うかどうか、どういう表現をしたいかどうか、というのは多分にそういったものが絡んでくるのは当然の様な気がします。しかし、それを考えるきっかけとなるものは、個人の資質の問題のようには私には思えません。

最近になって、ドイツの哲学者、思想家でもあるクラーゲスの著作を読んで、音楽を教えるのに必要なピースは、リズムという言葉にあるのかもしれないと思うようになりました。リズムを正確に、と言う風に使うリズムではなく、生活のリズムと言った周期的運動としてのリズム、クラーゲスの言葉を借りるなら、類似者の再帰というリズムです。



ーリズムは更新するー



生活のリズムと言うと、皆さんはどんな事を思い出すでしょうか?

朝起きて夜休むという、起きるー覚醒と、休むー眠りの2つの対極に位置する状態を行ったり来たりする事を毎日繰り返すと、生活のリズムは生まれるのではないでしょうか。そして生活のリズムは、朝6時に起き、夜10時に眠るという、まさにその時、という点ではなく、朝6時頃起き、夜10時頃眠るという、同じような時刻に覚醒と眠り(類似者)が行ったり来たりし、それを毎日繰り返し(再帰)ている、と言えます。

このような周期的な流れ、類似者の再帰は自然界に多く見られるそうです。クラーゲスは、潮の満ち引き、昼と夜、月の満ち欠けなど、様々なものを挙げています。そしてこれらを類似者の再帰であると言います。

例えば、桜が咲き、散り、また桜が咲くというのも1つのリズムであり、色や形、匂いは同じようなものであるけれど、それらは過去の桜と、似たものであるが、同一のものではないという事です。覚醒と眠りも、その状態は同じに見えるかもしれないけれど、眠りの質、起きた時の様子など、いつも同じ眠り方、目覚め方をしているわけではないように思います。


このように、リズムは似た物の繰り返しである事から、クラーゲスは端的に、『リズムは更新する』と言っています。


ー音楽上のリズムー


音楽上リズムと思われるものには、どんな物があるでしょうか。
音の大きいー小さい、明るいー暗い、高いー低い、長いー短い、そんなものが浮かぶのではないでしょうか?リズムは更新するものという観点から考えると、楽譜に書かれているほとんどの物は、同じ記号かもしれないが、それらは違うものだという事ができます。

Fは音が大きいもしれません、しかしそれは最初の音からでしょうか、それともクレッシェンドした先にあるFでしょうか、それともG.Pの後のFでしょうか、短調の、それとも長調の?

四分音符や八分音符は全てが同じ長さでしょうか。ここで思い出されるのはツェルニーの言う、『演奏をより美しく、興味深いものにするために、小さく、ほとんど気づかれないような、テンポを速くしたり、遅くしたり、非常にたくさん、ほとんどの各段、ほとんどの音符や場所に必要なのです』という格言です。


音楽を教える為の第一歩は、こういった事にあるのではないかと私は考えました。それは、リズムという自然な周期的な流れを感じる事、つまり、音の持つリズム、私の中ではこれは音の波長という言葉がしっくりきますが、その音や音群の持つエネルギー、指向性、流れの中での意味合いなど、そんな事を感じるのが第一歩なのではないかと考えました。


ー最後にー


私はここでもう1つ大事なことを書いておかなければなりません。それは、リズムを感じる事自体は、音楽を教える中での第一歩だと思うけれど、それを表現する事は、リズムを感じる事とは別の問題である、という事です。

リズムは、自然な、そして無意識による周期的運動です。月の満ち欠けや、潮の満ち引きは誰かが意図的にやっているわけではないですよね。音楽を聞いている時、まさにそれは最初からそこにあったような気がしてしまう時がありますが、それらは作られた物であるという事を忘れてはならないのだと思います。

私は、音楽は感情の発露の具現化である、と言い換えられると思っています。もちろん、感情だけではないかもしれません、自然を表現したもの、そういう物もあるかもしれません、ここで私が言いたいのは、音楽作品は人間の創造物であるという事です。

音楽がとても難しいなあ、と私が思うのは、音という素材や、感情の発露、と言う点は自然なものであると言えそうだけれど、具現化という行為は人間の技術であるという点です。あまり関係ないのかもしれませんが、芸術が自然の模倣である、という言葉を私は思い出します。


音楽を教える為の第一歩は、音楽作品の中にある自然的なリズムを感じる事。そしてそれを表現するには、無意識ではなく、意識してそれを表現する事。この2つが揃うことで、初めて音楽作品を演奏する、というところにたどり着けた様な気がしています。


最後までお読みいただきありがとうございました。
次は解釈について少し思うところを書いてみました。
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井出德彦