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   〜長い道のりのはてに・・・〜
      
様々な視点からの音楽


ー目次ー


ー遠い昔からー
ー2人から・先生という存在ー
ーパブロ・カザルスというチェロ奏者ー
ー馬頭琴演奏会から!−
ーCDを聞くという事についてー
ー『ラ』は果たして『ラ』なのかー
ー留学・ウィーンに来てからー
ーウィーンの他の学校・大学のシステムー
ー大学の授業ー
ーグーテンベルクが音楽家に与えた影響・日本語から見た音楽ー
ーグーテンベルクが音楽家に与えた影響・印刷文化ー
ーリズムという言葉ー
ー解釈についてー
ー先生という存在ー



ー音楽は進歩するのか?という疑問についてー


偉大なチェンバロ奏者であるヴァンダ・ランドフスカは1905年から1912年にかけて書かれた論文の中で音楽は進歩するのか、という疑問を投げかけている。(ちなみにランドフスカについてはいつか書くと思われるが、彼女はチェンバロを復元した人である。)
なぜ彼女はこの疑問を投げかけた(投げかけたというよりは憤慨している感じもある)のか、それは作曲家が、過去の音楽から進歩した故に、我々の生きている時代の音楽は完成の域に達したと言う態度にあったのかもしれない。私はこの論文を読んで考えさせられることがとても多かった。是非読んでみることをお勧めする。




ー弾き分けー

私たちは色々な音楽を聴きすぎて麻痺している感覚があるのかもしれない。バッハの音楽を聴いていた人たちが、モーツァルトの音楽を聞いた時の驚き。モーツァルトを聞いていた人たちがベートーヴェンやシューベルトを聞いた時の驚き。もう少し大きい枠組みにすれば、バロックの音楽から古典派の音楽、古典派の音楽からロマン派の音楽になっていった時、人々は何を思っただろう・・・
バロック、古典派、ロマン派、これらの音楽には驚くほど違いがある。そしてそれを弾きわける能力を、もっと言えば聞いてくれている方たちに伝える能力を、私たち音楽家は求められてはいないだろうか?



年表を見てみよう。

J.S.バッハ        1685年〜1750年
モーツァルト       1750年〜1791年
ベートーヴェン      1770年〜1827年
シューベルト       1797年〜1828年
シューマン        1810年〜1856年

楽器製作者(フォルテピアノ)

バルトロメオ・クリストフ      1655年〜1731年
ヨハン・アンドレアス・シュタイン  1728年〜1792年
アントン・ヴァルター        1752年〜1826年


ーバロックと古典派ー  ーバッハとモーツァルトー

余りにも話が大きくなってしまうので、バッハとモーツァルトだけを比べてみたい。
年表を見ると、バッハが亡くなった年にモーツァルトは生まれている。バッハは65歳で亡くなっている。その事から大体、祖父母と孫のような感覚だろうと思われる。祖父母と孫では考え方がまるで違うだろう、それと同じことは音楽にも言える。生い立ちなど色々あるかもしれないが、今回は使っていた鍵盤楽器の違いから見てみたい。


私たちの単純な誤解(私は少なくともそうだった笑)に、チェンバロからフォルテピアノが生まれ、そこから発展を遂げたものが現代のピアノという考えがある。しかし、チェンバロとピアノは似て非なるものである。確かに、チェンバロにおいても、フォルテピアノにおいても、祖先は同じだったかもしれない。だけれども、厳密にこれは区別されるものである。
今は多くの人が知っているように、チェンバロはハンマーではなく、鳥の羽軸などでできたもので弦をはじいて音を出す楽器である。これはギターなどど同じで撥弦(はつげんがっき)楽器の分類になる。

フォルテピアノは今現在のものと同じで、ハンマーで弦をたたいて音を出す。いわゆる打弦楽器である。この二つの楽器は根本的に違うものなのだ。(私もウィーンに行くまではそうは思っていなかったけれど・・・)


バッハがフォルテピアノを嫌ったという逸話がある。これが真実かどうかは置いておいて、バッハがチェンバロを愛用していたのは間違いはないだろう。(参考文献バッハ演奏法と解釈の213〜215ページにかけて詳しく書かれています)
ではモーツァルトはどうだったかと言うと、彼はフォルテピアノをこよなく愛していたらしい。それは、モーツァルトが彼の父に送った手紙で証明されている。



ところで、チェンバロという楽器とフォルテピアノという楽器の音を聞いたことはあるだろうか?youtubeにおそらくたくさんの動画があると思われるので聞いてみることをお勧めする。私は在学中に少しだけチェンバロとフォルテピアノの両方を習ってみたが、音の世界が全く違う。私たちに今までと違った世界を見せてくれるのは瞬時にわかるだろう。


鍵盤楽器だけを見たとしても、両者の間には確たる違いがある。そう考えて聞いてみるだけでも、感動をもらえるかもしれない・・・このバロックと古典派という時代の差異は比較的わかりやすいと思う。どちらが好きかということは言える、だが、どちらが優れているかなんていうのは言えない。音楽が進化したとももちろん言えない。そして、これらは今のピアノを持って弾き分ける能力が必要であると思う。


ー余談ー

youtbeなどで、音源を聞いていただいた方はなんとなく分かるかもしれない。いわゆるバロック、古典派にはペダルを用いない、という考えが少しだけおかしいという事が。
なぜだろうか?異論はあるかもしれないが、私はこれらの作品に全くペダルを用いないというのには賛成できない。というのは、チェンバロという楽器の音を聞いても分かるように、この楽器は、今のピアノよりもずっと響きがある(音量ではなく!!)。確かに、鍵盤から指を離せばこの豊かな響きは止まるものの、弦が振動している音色は、ピアノにはなく、それを補うだけのペダルは入れるべきであると私は思っている。

フォルテピアノはどうだろうか?今のピアノにある足で踏むペダルはないが、膝で押せるペダルは存在しているのだ。それは今のピアノと同じ機能を持っている。
以上の事からでもペダルを用いないというのはおかしな話だと私は思う。

だが、ここからはさらに重要だ。ペダルを使っても良いという事は分かっていたとしても、それを際限なく使用していいのか、となると話は全然違ってくる。これは非常に難しい問題なので、ピアノの音色の部分にていつか書き留めておきたい。
簡単に言えるのは、ペダルは補助であり、音色の変化を求めるものであり、そして、やたらと使うものではない、ということだ。





ー古典派とロマン派ー  ーシューベルトとシューマンー


なぜ時代区分が古典派からロマン派というものになったかは私はよく知らない。しかし確かに音楽は劇的に変わっている。今度は歌の観点から見てみようと思う。


水車小屋の娘をシューベルトが書いたのは1824年。詩人の恋をシューマンが書いたのは1840年。最初の一曲目だけ聞いてみてほしい。これがたかが16年の違いで生まれ得るものなのだろうかと思わないだろうか?あるいは、単に古典派とロマン派の違いでしょ、で終わらせていいものだろうか・・少しだけ思って勉強するだけでも音楽は変わっていくと思う。

確かに扱っている題材は全然違うものだ、詩人も違う、彼ら二人の性格だってもちろん違うだろう。では、シューベルトがいたから、シューマンがいたと言えるだろうか?おそらくそんなことはないだろう。シューマンを聞いた時に感じるものと、シューベルトを聞いた時に感じるものと、それは本当に違っているはずだ。


伴奏の観点から簡単に書くと、シューベルトの水車小屋の娘などに見られるものは、背景を書いているように見える。一曲目における右手の16分音符の形は水を表しているだろう。時折出てくる和音の変化は水のきらめきを表しているのだろうか・・・そこには、自分の想像する世界を描くシューベルトが見えてくるような気がする。

シューマンの詩人の恋に出てくる伴奏は最初の一音からすでに、シューマン自身が感じたであろうある種の痛みが見える。5月の風景と共に、詩人が何を感じていたのかを一緒に書いているように見受けられる。この伴奏形は、自分の愛の芽吹きと、5月の芽吹きを合わせているのだと私は思う。
簡単に言ってしまうと、シューベルトは本を読んでいるような感じで曲を書いているが、シューマンは自分の思いを書いているように聞こえるのだ。



ーまとめー


この弾き分けるという事は本当に難しい作業である。私自身完璧にそれができるかどうかと言われたら、もっと努力いたします。っと答える他ない。このページを読んでいただけたなら、おそらく思う事は色々あると思う。今回は、初めの一歩として、時代区分をテーマに扱っているが、本来的には、時代区分の問題ではない、とお気づきの方もいらっしゃるはずだ。

ではなぜ、時代区分が問題ではないのだろうか?

私たちは今安易に(私も)、あるいは便宜上時代区分を使ってしまう。しかしながら、この時代区分が世に出てきたのはいつだったのだろうか?この時代区分に惑わされてはいけない。確かにだ、同時代の作曲家の作品同士を比べてみると、共通項は見つけられるかもしれない。だがしかし、それらは本当に違っているのだ。もっと言えば、同じ作曲家ですら、作品によって違っている。それを一様に古典派だからこう、バロックだからこう、この作曲家だからこうだ、っと考えるのは非常に残念である。余計なことはいらない、楽譜と向き合えばきっと作曲家が作り上げた世界を見れるはずだ。楽譜から読める音楽はそれぞれに素晴らしいほどに違っているのだから。


とは言うものの、まあ確かに時代区分は便利だとは思うのだけど・・・(笑)



ーおまけー


私の発音(詩の読み方?)の先生に、ショルム先生という方がいらっしゃる。その先生は良く私たち生徒に、その時代に生きていると思って、音楽を考えなさいとおっしゃっていた。
この時代の冬はもっと厳しかった。野菜と言えば、冬は保存の効くものしかなかった。いつだって、みなビタミン不足で、顔はやつれていただろう、そんな中、春がやってきて、明るい太陽が出て、全てのものが色づいてくる。その時の感覚を考えてみなさい、っとおっしゃっていた。私たち音楽家はこの感覚をいつだって忘れてはいけないと思う。
そんなことを考えながら、春の曲を聞いてみると楽しいかもしれない!




次は楽譜についてを書いていきたいと思います。


参考文献

・バッハ 演奏法と解釈 ピアニストのためのバッハ パウル・バドューラ・スコダ著 今井顕訳 松村洋一郎・堀朋平訳 全音楽譜出版社
この文献は非常に長いものではありますが、一読することをお勧めします。バッハを弾く上でのたくさんの誤解があったこと、知りたいことが本当にたくさん載っています。ある部分においてピアノ弾き以外の方も面白いと思います。(まだ私も全てに目を通せてはいません・・・)


・モーツァルト 演奏法と解釈  エヴァ+パウル・バドューラ・スコダ 訳 渡辺護/音楽乃友社

・ランドフスカ音楽論集 レストウ編 訳 鍋島元子・大島かおり/みすず書房