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〜伴奏という広い世界〜
      
  伴奏者としての私


ー目次ー
 
ーLektion1ー   ーまず手始めにー
 
ーLektion2ー   ー歌ってみようー
 
ーLektion3ー   ー処方箋としてのブレスー
 
ーLekiton4ー   ー前置き・本題ー
 
ーLektion5ー   ー本題その2
 
ーLektion6ー     ー有節歌曲ー
 
ーLektion7ー     ー伴奏が好きな理由ー
  ーLektion8−    −伴奏が好きな理由2−
  ーLektion9−     ー伴奏について最近思う事ー
 ーLektion10ー    −F.シューベルトー
 −Lektion11ー     −歌曲に取り組むー
 −Lektion12−     −歌曲に取り組む・その2−
 ーLektion13ー     ー拍についてー
 ーLektion14ー     −ドイツ歌曲をグループ分けしてみるー





ーF・シューベルトー




やはりというか、個別の作曲家について書こうと思ったら、最初に来るのはシューベルト。自分が一番好きな作曲家だから、かなり偏見があるかもしれないけれど、思う事を書いていこう。

シューベルトは私にとって基本なのだと思う。前回書いたポリリズムの台頭、つまり、詩、歌、伴奏のリズムが高次元に1つの芸術的まとまりとなっていく、というのがいわゆるドイツ歌曲だとするのなら、それはシューベルトの歌曲が初めて体現しているように思う。
連作歌曲から抜粋した曲の伴奏について見ていくことが、このページの主な内容になると思う。もしその伴奏の素晴らしさが少しでも伝わったらとても嬉しく思う。


『感情、描写、雰囲気といったあらゆるものを同時に与えるのであって、それは感情に彩られた絵画である』

アルフレッド・アインシュタインはシューベルトの伴奏についてこんな言葉を残している。



連作歌曲集から見た伴奏





挿絵は水車小屋の娘の最初のページと最初の詩の部分である。これは、私が持っている一番古い本で、1874年に出版された本である。この挿絵がヴィルヘルム・ミュラーの詩集が最初に出版された時にもあったかどうかまでは分からないけれど、参考にはなると思う。この絵を見ながら水車小屋の娘を聞いてみると、シューベルトのすごさが実感できる、かもしれない(笑)シューベルトの伴奏は、その詩の世界観を一瞬にして作り上げてしまう所にあると私は思う。そんな箇所を少しずつ挙げていこうと思う。




曲の始まり。これは水車が回っている様子、あるいは川が流れている様子を表しているのだろうか。一番では楽譜通りに、2番では川が出てくるからレガートに、3番は水車が回る音を表したくてスタッカートに、4番では重さを表したくて一拍目や左手を強調し、5番ではこれから旅に出る若者の溌溂さを表したいなぁと思って弾いている。

単なる16分音符の連続の音型にここまでの意図があったかどうかは分からないけれど、私はあったんじゃないかなぁと思う。そして何よりこの伴奏は歌と合わさると、若者の水車屋への思い、旅への憧れが聞こえてくるように思う。





さてちょっと進んで、上の写真は5番目の曲。若者はここで働くようになり、水車屋の娘に恋をする。この曲では不甲斐ない自分を悔しく思うのか、激しい和音の連続から曲が始まる。しかしそれが続くかと思えば、水車屋の娘に気付いてほしいというところで、音型は同じだけれど、好きな人への思いを表すかのような優しい和声に変わる(下の写真)







もう少し曲を進めると、水車屋の主人が労働者にねぎらいの言葉をかける場面がある。若者にとってそれは当たり前の事だろうから、普通に聞いている。だけど、娘が話そうとしている時は、まさに期待と不安が混じりあった、8分音符と和声が続く。

その後で、若者にとっては悲しい現実に出会う。ピアニッシモで書かれた小節がそれである。なぜここはピアニッシモなんだろう?若者にとって、これは期待とは違う言葉で、そしてそれを信じたくないのではないだろうか?

というのは、自分の好きな人も、自分だけでなくみんなに向かってお休みなさいと言うからだ。そこにはむなしく、Alle(みんな)と書かれている。そしてもう一度、その言葉はエコーのように彼の中で鳴り響く。ピアノにはここでスフォルツァンドがついている。私には若者のショックを表しているように聞こえる。

その後で、再び戻ってくる音型は、左手が微妙に違っていることに気が付く。これは若者のショックがそうさせているのではないだろうか?前半に彼女に気付いてほしいと初めて歌う時は、優しい和声であったが、後半では同じ個所が悔しさのような和声になっている。



 


雨が降ってきたから私帰るわ、と言って帰ってしまう水車屋の娘。せっかく2人きりになれたと思ったらすぐに帰ってしまう。それまではとても仲良く過ごしていたかのように思える曲調も、4番が始まると短調に変わる。雨が降ってきたわと言う部分だが、私はここだけスタッカートで弾くようにしている。本当に雨は降っていないのだが、若者の涙でさざ波が立ったと思う。そのすぐ後で再び長調に変わるこの曲は、水車屋の娘が若者との時間を楽しんでいなかった、という印象を私たちに与えてはくれないだろうか。




写真はしぼめる花。

この曲が始まった時、まさに打ちひしがれている雰囲気が伝わってくる。たった一小節を聞いただけでもそうだと思う。この曲を語るのにそんなに文章は要らない。
少しだけ書きたいことを書こうと思ったら、彼女が歩いてきたら、という所から長調になり、左手はまさに彼女が歩いているところを表しているように見える。

そう、これはそう見えるだけである。ドイツ語のWennは、もし〜だったら、という仮定であり、例えば、もし時間があったら、映画を見に行けたのに、という風に使う。この場合、もし彼女が来てくれたら、冬は去り春が来る、という意味で、彼女が来ることはない。だから、ここの部分は元気いっぱいの行進曲ではない。ここは彼の空想とか夢と言った部分だと思う。この曲の最後が短調である事にはきちんとした意味がある、おそらくは、現実に引き戻されたのだ。

その次の曲の最初は、もう打ちひしがれた若者しかうつっていない。そういう雰囲気の和音で始まる。途中で小川は若者に語りかける、それは彼にとってなぐさめだったのだろうか?

最後の曲で若者は小川に包まれていく。





冬の旅についても少し。





よそ者としてやって来た旅人が再び旅に出ざるを得なくなる。雪を踏みしめて歩んでいく。
前奏に書かれたフォルテピアノは雪を踏めしめた音だったのか、彼の無念さを表しているのだろうか。それとも別の何かだったのか。


4番に入ると旅人は愛する女性の家の前までやってくる。この長調に変わるところは、一体何を指すのだろうか?夢見る彼女か?昔の良かった頃だろうか?

旅人の叶うことがないだろう願いだろうか。起きないように、彼女の夢を邪魔しないようにとは言うが、旅人にとっては彼女はまだ愛する存在で、彼女も同じ気持ちだと思っている描写ではないかなぁと個人的には思う。しかしまあ、次の曲で風見鶏を見て悟ってしまうのだけど・・・






冬の旅の中で一番好きな曲、宿屋。

旅人はここで初めて歩みを止める。その時の彼の思いはどんなだったのだろう。ようやくこれで安らぎに包まれると思ったのではないだろうか。

宿屋というタイトルだけれど、詩を読むと、ここは墓地である事がわかる。
そう、部屋(墓穴)は全て埋まっているようだ。こんなにも傷つき、今にも倒れそうなのに、こんなにも安らぎを求めているのに。宿屋にも泊まることができない。人生の最後の場ですら私を受け入れてはくれないのだ。そうして旅人は再び旅立っていく。

この曲の伴奏では、墓場という、苦しみからの解放という安らぎを表しているように聞こえる。そういう思いを描きながらぜひこの曲を聞いてみてほしいと思います。





早足ではあるけれど、最後の曲。

これはもう何とも言えない。民族楽器にあるような低音が鳴り響く。そして手回しオルガンを表すだろう右手が終始鳴り渡っている。旅人はようやく、本当にようやくここで初めて人を見る。しかしこれは本当に人なんだろうか?私の敬愛するルッツ先生は死神(私のドイツ語不足でなければ)というような事を言っていた。
私はこれをどうやって弾いたらいいのか迷いに迷っているように思う。答えが見つからない。死とは違うのだろうか?死は全てにおいて安らぎを与えてくれるわけではないのか?それとも、これこそが彼にとって追い求めていたものなのだろうか。


ーまとめー


本当に抜粋ばかりで申し訳ないのだけれど、伴奏から見たシューベルトについて書いてみました。本当は、全ての曲にこういう思いがあるのだけれど、流石にすべては書ききれませんでした。

F.シューベルト。彼の歌曲には、作曲家個人の匂いが感じられないのが正直な感想です。詩に自分を投影しているようには見えないという意味で。彼が、詩を読み、頭の中で見た描写に曲を付けたような、そんな感じがします。1つの映画のように思います。原作はW.ミュラー、音楽・映像はシューベルト。

彼の歌曲は譜面は確かに単調のように見えるかもしれません。だけど内容は単調とは程遠いものではないでしょうか?シューベルトの歌曲は、淡々と書いてある通りに歌うととてもつまらないものになる危険と隣り合わせのように思います。この事についてはいつか書きたいと思いますが、今はまだ言葉がうまく見つからないので・・・


これからもシューベルトの曲を弾く機会はたくさんあると思います。彼の魅力を少しでも感じてもらえるような伴奏ができたら良いなと思います。色々と私の偏見もあったと思いますが、暖かい目で見ていただければ嬉しく思ます。


井出コ彦



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